プレイハンドのお話
EMMIEです。
台風、皆様大丈夫でしたか?
横浜、町田周辺は局所的な雨風のみであまり大きな被害もなかったみたいですが、被災された方々も多くいらっしゃるとニュース等で拝見いたしました。
被災された地域の皆様、1日も早い復興を心よりお祈りいたします。
「祈り」といえば。
今日は不動の人気を誇る「プレイハンド」についてのお話です。
洋彫りの定番、チカーノスタイルとしても人気の高いプレイハンド。
多いときは、週に複数のお客様に施術することもあるくらい、お問い合わせの多いスタイルです。
小さいものから、大きいもの、単体でもかっこいいし、背景を付け足して華やかにしたり、何かを持たせたり、手の甲に別のモチーフを刻んでみたり…。
いろんな角度から「祈り」を表現できるバリエーションの多さがまた人気の秘密なのかなと思います。
そもそも、このプレイハンドって一体なんなのでしょう
「Praying hands」
英語のwikipediaになりますが、まずは概要。
プレイハンド(Praying Hands)は、ドイツの版画家、アルブレスト・デューラー(Albrecht Dürer)による作品。青い紙に黒と白のインクで描かれており、発表は1508年、北方ルネサンスの時代だそうです。(絵画史については全くの専門外なのでご勘弁を)
若き青年には、仕事の同僚でもあり、夢を共に語らう仲でもある親しい友人がおりました。
二人には絵を学び、画家として大成する大きな夢がありましたが、彼らはとにかく貧しく、生活をするための激務に追われていたため、絵を学ぶ時間なんてものは一切ありません。
それでも夢を諦めきれない二人は、ある日決断をします。
「君と僕で、順番に学校に通おう」
それは、片方が学校に通う間、もう片方は学費を稼いで支え、卒業したら交代をしよう、というものでした。
彼らはコインを跳ね上げます。
空高く飛び上がったコインは、弧を描いて手の甲に戻っていき、青年が先に学校へ通うこととなりました。
数年後、青年は念願だった学校を卒業し、友の待つ故郷へと帰ります。
しかし、久しぶりに帰ってきたその地で見たのは、夢を追いかけていた友の姿ではなく、力仕事に従事した男の姿だったのです。
自分のために学費を必死で稼いでくれていた彼の手指は、筋肉がついたことで太く逞しく変わり、肌は黒く焼け、皮膚は硬く、分厚く変化していました。
数年間、筆を握っていた自分とはまるで違う姿に、青年は果たして何を思ったのでしょうか。
「次は君の番だ」と告げる青年に、彼は首を振ります。
「自分はもう筆を持つことはできないが、君の画家としての成功を願っている。」
そう合わせた手の指は、曲がって歪んでいたと言います。
実を言うと、デューラーが何を目的にこれを描いたのか詳細は不明であり、たくさん諸説があります。
本当にこんなストーリーがあったのか、はたまた全然違う意味があったのか、そしてこれは誰の物語なのか。
詳細は本人にしかわかりません。
もしこのストーリーが本当なら、このプレイハンドの見方も変わってくるかもしれませんね。
画家の夢を叶えた青年は、自分の人生を投げ打って支え続けてくれた友人のために、今度は自分の人生をかけることを誓います。
そんな思いを込めながらの、プレイハンドの下絵でした。
☆参考文献
「Praying Hands (Dürer) – Wikipedia 」