『入れ墨』じゃない!!
SHUNです!!
「タトゥー」「いれずみ」「ほりもの」。。。
昨今では、
色々な呼び名で呼ばれていますし、
Instagramなどのハッシュタグでは、
[#tat][#tatt][#inked]なんて、
色々なキーワードもあったりして、
ダイレクトに検索をかけなくても、
様々な作品が見れるようになりましたね◎
そもそも、
「タトゥー」と「いれずみ」の違いはなんですか?
良くご質問を頂きますが、
これは単純に呼び方の違いです。
タトゥー=洋彫り(洋風なデザイン、スカルや天使等)
いれずみ=和彫り(和風なデザイン、龍、鯉、武将等)
と、デザインで言葉を区別したり、
機械(タトゥーマシン)で彫るか、
手彫りで彫るかでも区別したりすることもあります。
しかし、
タトゥーとは英語[Tattoo]からの外来語であって、
意味は「いれずみ」の意味。
語源は、
タヒチ語の「Tatau(タタウ)」、
叩くと言う意味から来ています。
フランスやイタリア、様々な国のタトゥーと言う言葉も、
このタヒチ語が語源の様です。
では、
我々日本人が使っている、
「いれずみ」と言う言葉の語源、
ご存知でしょうか?
漢字にすると、
「入れ墨」や「刺青」と表記したりしますが。。。
ニュースや新聞は、
前者の「入れ墨」の表記が、
圧倒的に多いですね。
でも、
この「入れ墨」と言う言葉。
我々が入れているその「いれずみ」とは、
全く違う物なんですよ。
そう。
「入れ墨」は間違いなのです!
本日は歴史の勉強。
「いれずみ」の歴史に迫ります。
では、
「いれずみ」ってなんぞや。
これは、
「入れ墨刑」と言う、
江戸時代の刑罰が語源です。
罰則の内容や、
犯罪を起こした場所を、
額や見える部位に彫られます。
「入れ墨」とは、
この刑罰の事を指して言われ、
差別的な意味合いとして呼ばれ、
江戸時代の「いれずみ」とは、
当時はっきりと区別されていました。
つまり、
「入れ墨」は差別用語なのです。
では、江戸時代。
我々が彫っている様なものは、
何と呼ばれていたのでしょうか。
当時の、
鳶職の仕事風景です。
この時代は、
鳶、火消し、飛脚等の力が必要で、
上裸になり褌一枚で仕事をする人達が、
先駆けとなって好まれていきました。
褌一丁の心許なさをカバーする為、
他にも魚屋や漁師も多くの人が入れていました。
また、
歌舞伎役者や力士等も、
施していたりして、
男らしさや色気の象徴として、
その当時の大衆の憧れの対象であり、
女性は全身に入っている人を恋人に持つことが、
ステータスになったと言われています。
その時、
色々な絵の手法を駆使した、
沢山の浮世絵師が登場したのも、
大きな要因です。
また、当時の政治家、
お奉行達にも広まり、
遠山の金さんの桜吹雪は有名な話、
(実際は腕に女の生首)
民衆にも政治界でも幅広く人気だったのです。
そう、
その時代の人達は、
本来の芸術的なこれを、
「文身(ぶんしん)」「彫り物(ほりもの)」
と称して、
先にお話しした、
「入れ墨(いれずみ)」とは、
明らかに区別してきたのです。
そして、
「しせい」と書く「刺青」は、
明治時代の小説の作中の当て字と言われています。
その後、
日本は明治時代になり、
法律で刺青を彫ることを禁止され、
世界大戦に突入します。
そして、
政治家やマスメディアの操作によって、
「入れ墨」と呼ばれ差別されるようになり、
アウトローな感じが定着してきてしまったのです。
ここで余談ですが、
この「彫り物禁止令」を撤廃したのは、
終戦後に日本にやってきた、
GHQのマッカーサ元帥です。
終戦後すぐに在日アメリカ軍人には、
すぐ受け入られ、
日本の刺青を芸術的と評価し、
それを喜んで彫って帰国したと言われています。
外国では非常に評価されているのに、
現在の日本は殆ど進歩していないかもしれません。
その原因は、
そういった時代背景もありますし、
マスコミの過剰な取り上げ方もあると思います。
でも、
実際にこの言葉の意味の違いや、
歴史の背景を知らない理解していない、
彫師が日本にいると言うことが一番の問題だと思います。
誇りを持って仕事をしている彫師本人が、
どうして「入れ墨」と差別用語を使えるでしょうか。
こんな素晴らしい芸術的な文化があるのにも関わらず、
この文化を彫師が自虐して、
見切りをつけて海外にこの伝統を流出させてしまうのは、
本末転倒なのではないでしょうか?
自分もまだまだ未熟。
これからも勉強。
一人一人の彫師の意識の改革が、
今後の日本の刺青を左右すると思いますので、
自分は意識を高く持って、
知識と技術を身につけていきたいと思います!
押忍!!