YOKOHAMA二十才まえ。。。


KANです。

 

自分が札幌から上京したのは19歳の時でした。

専門学校へ進みたいというのは口実。

ただただ都会へ行きたい。。。

そんなキモチで、

ここ横浜に出てきたワケですが、

明確な目標もないまま専門学校へ行ったので、

当然続くわけがないですよね(笑)。

 

 

生きるために始めた様々なアルバイト。

弁当配達、荷物仕分け、引越し屋、

レストラン厨房、そば屋にレンタカー洗車…etc。

なかでも関内の水商売が最初の転機だったかも。

 

時はバブル景気。

といっても小僧だったので実感はなかったけど、

羽振りの良いビジネスマンと夜の蝶たちの

生々しい世界が見られた^^。

エネルギッシュな大人たちが毎夜集まり、

あぶく銭で飲み歩く。。。

自分は必死に慣れない仕事をこなすだけ。

それをしっかり見ていてくれて、

「お前頑張ってるな」と

ビールを酌してもらったことが忘れられない。

相手は酔ってのことだったかもしれないけど、

小僧にとってそれは、

オトナに認められた!という証(笑)だったのです。

仕事は楽しいものと刷り込まれた瞬間でした。

 

 

20代はとにかく色々な仕事をした。

リクルート(派遣ね)での求人広告制作。

これは文章を書いたり、イラストを描いたり、

書体の勉強にもなった。

 

その後フリーで広告デザインを少々。

独りの大変さを知った。

 

そして先輩に拾われ、

粗大ごみや不用品を集めては

フリーマーケットで売る生活。

商売の大変さとお金のありがたさが身にしみた。

 

その後古着を求めてアメリカへ。

年に数回2〜3000キロをレンタカーで周り、

集めまくった古着を日本のフリマで売る生活。

 

ナイキ&古着の大ブームに乗り、古着屋を出す。

出しては潰れ、またオープンしては潰すということ4軒…。

利己的では決して成功しないと思い知らされる。

 

古着ブームが去り、

一軒残った店とスタッフそして生活のために

韓国へ仕入れに向かう。

愛情の注げない商材ゆえに、客は遠のき、

しまいには火事で燃えて終了。。。

 

 

 

でも散々だった20代での経験すべてが

今彫師としての生業の役に立っている。

もし、20代早々にこの仕事に就いていたなら、

現在の自分もこのスタジオも無いと言い切れます。

あれらの失敗や挫折があってこそ、今がある。

思い返せばですけどね^^;

 

 

そして今、

19歳で彫師を目指そうと

歩み出した若者が目の前にいる。

進むべき道を見つけ、意気揚々の彼。

彫師としての早い船出を

純粋に応援したい気持ちもあるけど、

世間の広さ、社会の厳しさを吸収してゆくこれからが、

一生の中で一番大切というのも知っている。

ぬるま湯に浸かってきたヤツと

荒波にもまれてきたヤツとの差は

20代では見えにくい。

30歳を過ぎてからかな、気がつくのは。

だけどそれを取り戻すのは難しい。

自分なりに生きてこれたんだという

プライドと知恵を捨てることって

そう簡単には出来ないから。

 

若い時の苦労は買ってでもせよ。

先人の言葉は、歳を重ねてから

身にしみたりするもんです。

 

彫師はまだまだ日本では異色な職業。

法的にグレーな面もあるし、

社会的地位が確立されているわけでもない。

半面、芸術的と評価されることもあるし、

お客さんからありがたい言葉を

かけていただくこともある。

魅力的で一生続けたい仕事と信じてるけど、

若い彼にとって、それを決めるのは

もう少し先でも良いのかもしれない。。。

とにかく視野を広げてほしい。

自分はそう思います。

 

すでに親と子の年齢差(笑)。

人生の先輩、そして

オヤジのような気持ちで言えば、

大海原へ出てこい!

頭から大波をかぶってこい!

そしてひと休みする港はストローカー^^。

 

 

しっかりとじっくりと、厳しく優しく。

顔から味が滲み出るような男に

育ってくれればいいなと思います。

 

 

YOKOHAMA二十才(ハタチ)まえ

1986…。

2016…。

まずはオレの決意表明,,,卍

 

akarenga