パンツ一丁マントマン。。。

パンツ一丁マントマン。。。

KANです。
今日は本で見つけたtattoor歴史のお話。
そもそも、西洋のタトゥーはどうやって人々に広まったのか?
注目を浴び始めたのは1820年代、
イギリスのサーカスだそうです。
火を飲む込む男などと並び、illustrated peopleとして
サーカスのサイドショーに登場したそう。
身体に絵を描いた男という”見せ物”ということでしょうか(汗)
$ストローカータトゥーの舞台裏
サーカスの広告「タトゥーワンダー(驚きのタトゥー)」
マントの下はパンツ一丁。そして全身タトゥー。
これには人々も驚きますな。。。ヽ(゜▽、゜)ノ
その後アメリカに渡り、1800年代半ばには鉄道網の整備に伴い、
サーカスアトラクションと彫師たちがアメリカ各地へ
広がっていったといいます。
彫師はサーカス一座と共に旅をしながら
タトゥーを彫るという生活だったというワケですね。
$ストローカータトゥーの舞台裏
学園祭のテントのようですが、当時のサーカスの様子です。
アメリカでタトゥーマンとして最初に見せ物となった人は、
James F O’Connell(ジェームス・オーコネル)という人物。
1841年のこと。
1820~30年代ミクロネシアに旅行した際に彫った
ポリネシアン柄のタトゥーを見せて働いていたそうです。
サーカスとタトゥーの意外な関係。。。
面白いです。
参考にした本はこちら↓
$ストローカータトゥーの舞台裏
全部英語なので、なかなか理解できませんが(笑)
興味深いことが書いてありますので、
また機会をみてご紹介したいと思っています。
*:..。o○☆゚・:,。*:..。o○☆
明日29日(土)は新規の方の当日施術が可能です☆
ご来店お待ちしております(_ _)